ターコイズにこだわり、あらゆる作品に触れ、自らも生み出してきた
そんな小寺康友がターコイズジュエリーと向き合い続けた半生を語る
僕とターコイズとの運命の出会いは、高校時代の友人がつけていたネックレスだった。
1987年、僕が高校2年生の時、カリフォルニアのサマースクールから帰った友人が、ターコイズを使ったネックレスをしてきた。そのネックレスを見た瞬間、その色とカッコよさに衝撃を覚えた。すでに、この時運命みたいなものを感じていた気がする。自分は、これからの人生で「ターコイズ」と何らかのかたちで関わっていくんだろうなと。
「アメリカのインディアンのサントドミンゴという部族が作っている、『ヒシネックレス』だよ」と聞いて、似たようなものを探した。しかし、日本にはほとんどなかった。
その後アメリカに留学。最初に購入したインディアンジュエリーはネックレスだ。熊の爪がついたいかにもという品で、シカゴの空港で購入した。
留学してから1年弱くらいでクルマを買って、本格的にいろいろなところに動き始めた。
そんな中で、いままで土産物という印象だったインディアンアクセサリーが、ギャラリーにあるのを見た時には衝撃だった。まだネットもなかった1970年代当時の日本には、“本物”のインディアンジュエリーというものがなかった。それらの作品にはずっしりした思いが感じられたし、作風もしっかりしていた。
現在(2020年)のターコイズ市場は、本物のナチュラル(自然なもの)は市場の3%ほどしかない。すでに閉山してしまった鉱山もあり、その希少性からターコイズが投資になるという話が広がったこともある。本当にいい石は市場に出回らず、コレクターやショップが秘蔵していることも多いのだ。
世界的に見ると、一番品質がいいのがイランの石と言われている。ただ、新しい情報も入らないし、市場にもほとんど出回らない。エジプトやカザフスタンでも採れるが、こちらも同様だ。市場に出回っているイランの石は、1970年頃までに輸入されていたものが大半だ。
ただ、僕は常に本物のターコイズを探し求めてきた。SNSもない時代、情報は自分で探すしかなった。そしてある女性との出会いをきっかけに、鉱山に登ることになる。僕が30代の時だった。
最初はツアーなどでいろいろな山を回って、この石質だからこういう石が採れるといったことを学んでいった。そうやって何度も通ううちに鉱山夫たちが、「そんなに好きなら一緒に行こう」と誘ってくれるようになった。
実際に何回もネバダに行かせてもらい、自分で採取もしている。
彼らはサンドイッチとお酒とつるはしなどを持ってクルマで登る。そこから実際に採掘する場所までは歩いていって、手で掘る。20メートルくらいずつ間隔を空けて、壁面を上がりながら探していく。そうするとターコイズの脈にあたることがある。何百年・何千年と時間をかけ、鉱物が風化・酸化して生まれる大自然のターコイズを見つけた時は、本当に神秘的だ。
ただし、大きな脈は鉱山夫に任せて、僕は目に見える石を探す。そうすると、「ナゲット」と呼ばれる塊が出てくることがある。ナゲットは岩の圧力を受けながら育っていくため、硬い石になる場合が多い。ターコイズは硬ければ硬いほど高級と言われている。
よく、ターコイズの真贋をどうやって見抜いているのかと聞かれることがあるが、僕はそれぞれの産地の山ごとに、どんな石が産出しているのかを色で知っている。この山から出た石と言っているのにこの色はおかしいとか、マトリックスの入り方がこの山ではあり得ないとか、実際に鉱山に登って本物を見てきているからこそわかる。
だから、不自然な色や年を経て変色したもの、逆に不自然にきれいすぎるものなどには鼻が利く。そして、そういう不審な石は絶対に買わない。だから、偽物をお客様に届けることもない。
それに、付き合いのあるショップやバイヤーたちも、信頼のおける人たちばかり、ということも大きい。彼らが扱っているものだから僕も安心して購入できるし、販売することもできている。
その後も、本場アメリカのインディアンジュエリーの店で、有名な作家の作品を購入したり、店主が秘蔵しているターコイズを見せてもらったりしながら、情報を収集していった。とにかくインディアンジュエリーを集めたかったし、もっともっと知りたかった。その頃に何人もの有名なアーティストにも出会っている。今思うとすごいアーティストたちと会っていたのだと思う。
日本に戻ってからも、アクセサリーショップで働きながら、インディアンジュエリーやターコイズを学び続け、現地との関係も続けていた。1990年頃からは、独学で自分でもアクセサリーを作るようになり、自分の作品が売れる喜びも感じていた。
そうして、1999年に「スカイストーン」として独立した。当時はとにかく情熱だけ。借金もしたが、これでダメだったら別の仕事をしたらいい、と思っていた。
3月にオープンしたが、忘れもしない、最初の月は3万5000円しか売れなかった。どうしようもなくなった僕は、その年のゴールデンウィークにショーケースを外に出して、軽井沢に訪れる人たちにアピールしたところ、ケース内の商品が完売した。当時は結構お金を使ってくれる人もいたいい時代だった。その売上でさらに新しいアクセサリーを仕入れて、売って、今の店にまで成長できたのは本当に運が良かった。
もちろん、大失敗したこともある。高値で仕入れたのに質が悪かったり、値が下がったり。逆に安く仕入れたものが10倍、100倍の高値になったり得をしたこともある。そうやって審美眼も身につけていった。
ちなみに、当時購入した、今となっては貴重なアンティーク作品は、軽井沢の僕の店「スカイストーン」のギャラリーに飾っている。ただ自分が好きで集めていただけだったが、気がついたら世界でも有数のコレクターになっていたらしい。
日本人としては初めて「サンタフェインディアンマーケット」という品評会で審査員をやらせていただいたことがある。これをきっかけに翌年はチャールズ・ロロマの姪っ子と一緒にブースを出し、トークショーや、持ってきたターコイズを鑑定するというイベントも開催。以降毎年このイベントに出店するようになり、現地のアーティストやショップとも交流を深めていった。
ターコイズを最初に装飾品として使ったのはインディアンだ。1300年頃の彼らの墓の中から、すでにターコイズが多数出土している。彼らは「守り石」などとして身につけていたようだが、自然から生まれたもの、パワーが詰まったもの、というイメージがあったのだろう。
その後、移民によって彼らは住む土地を奪われ、植物も生えない砂漠や岩のような場所に追いやられた。ただ、移民ばかりの国だから、物質的なものにも飛びつきやすい。投資対象としてターコイズがブームになって価値が向上したことは、インディアンにとっても良かったのだろうとは思う。インディアンの文化やインディアンジュエリーが広まり、アートとして認められるようになっていったからだ。
でも本質的な魅力はやはり、あの水色だ。僕自身もターコイズになぜこれほどまでに惹かれるのか、正直答えは出ていない。でもあの水色に、インディアンと同じように何かを感じて今日まで来たことは確かだと思う。
ターコイズとひと口で言っても、いい石と悪い石というのがある。これは真贋とは別の、質の問題だ。
いい石の基準は、光があること、「マトリックス」という網目模様の線が均等にはいる事。そして発色の3つ。これらが揃った石が産出する最も有名な鉱山が、アメリカにあるナンバーエイト、ローンマウンテン、ランダーブルーと呼ばれる山だ。そして、山の名前がそのまま石のブランドにもなっている。
ナンバーエイトはとにかく水色の発色が全て。線が太く入るものは不純物が多く割れやすく、柔らかくなってしまう。だから細い網目模様、俗に言う「スパイダーウェブ」が入っているものが価値があるとされている。
ローンマウンテンの特徴は、塊状(ナゲット状)で採れることが多いということ。真っ青な石に黒い筋が入り、ところどころが黄茶色の線が混じる「ゴールデンウェブ」という石が最高級とされる。
硬く粘りがある石は割れにくいので僕は非常に好きた。
ランダーブルーというのは、水色の周りに黒い石がコーティングされていて、カットした時にマトリックスが入る。深い青と漆黒のコントラストが美しく、最高級の石になると全体が紫ががってみえる。
個人的に好きな石は、やっぱりナンバーエイトだ。色も模様の入り方も完璧なものがある。ただ、硬度の質が高いために、ショックを与えるとたまにパチンと割れることがある。
僕自身、何度かそれを経験してきて、最終的にたどり着いたのがローンマウンテンだ。粘りもあり、色も変わらない。硬さもある。石自体が絡み合っていて割れにくい。
コレクションとしてはナンバーエイト。身に着けるのはローンマウンテンといったところだろうか。
ただし、これらの山で産出された中にも、悪い石というのはどうしてもある。それはターコイズができる仕組みによるものだ。
たとえば、地殻変動によってターコイズの原石となる脈に厚みや空洞ができ、圧縮されていない石。それらは硬さもないし、色もよくない。そして、残念ながら市場に出回っているターコイズの8割は、そういった石の内部の空洞に人工の色を着色したり、硬度を増すため樹脂を染み込ませたりしているものだ。
大学から米国オハイオ州に留学した僕は、本場のインディアンジュエリーに触れ、ニューヨーク、ワシントンなどの都市からアリゾナまでめぐりながら、審美眼と知識を身につけていった。そしてその過程で、著名なインディアンジュエリーのアーティストたちとも交流するようになる。
中でも、シルバースミス=銀職人と評され、繊細で巧みな技巧をもつマッキー・プラテロは、僕が最初にアメリカから輸入した作家の一人。彼との出会いは僕の人生に大きな影響を与えた。
マッキーとは何度も会ってるし、実際に作業を見せて貰って本当に感銘を受けた。
直々に作り方も教えてくれたり、モチーフをくれたりもした。彼とは非常に気が合った。「スカイ・ホーク」(天の鷹)という名も彼がつけてくれたインディアンネームだ。いわば彼は、僕の師匠とも言える。
僕自身がジュエリーデザイナーを志す大きなきっかけとなったのが、インディアンジュエリーを芸術の域にまで昇華させたと言われるチャールズ・ロロマだ。チャールズ・ロロマが亡くなったのは1992年。僕がアメリカに渡ってから3年後のことで、残念ながら直接会うことはできなかった。しかし遺された作品を通して、そして彼の周囲の人々との交流によって、より深くロロマを知ることができた。
緻密で複雑なデザインで知られるリー・ヤジも、僕が出会った印象に残るアーティストのひとりだ。1本1本のラインに命を吹き込むという思想は、僕自身の製作にも多大な影響をもたらした。近代インディアンジュエリー界の天才のひとりだ。
彼の功績がたたえられて、アメリカインディアンとしてスミソニアン博物館で唯一、ショーを実施した。これによってインディアンジュエリーの価値が一気に上がったと言われている。サザビーズのオークションなどでも、彼の作品は扱われている。
アメリカでインディアンアーティストと出会い、交流や信頼を得ていく中で、自分でも作ってみたいと思うようになった。独学ながら道具を集めて、技術をいろいろな人に教えてもらいながら、少しずつ覚えていった。
ジュエリーというのは、人を幸せにするためのものだと思っている。だから手を抜けない。実際、拙いながらも少しずつ改良を重ねていき、売れるようにもなっていった。
僕がつくるジュエリーには、その時最もいいと認めた石だけを使い、魂を注ぎ込んでいる。基本コンセプトは「24時間365日、身につけていられるジュエリー」。自分で身につけたい石を、自分の好きなデザインでというのが、小寺オリジナルジュエリーの原点だ。
いろいろな作品を見てきた中で、それぞれのいいエッセンスに自分のオリジナリティを加えたものを作る。すごくいい石でいいデザインであっても、ボンとぶつけたときに曲がってしまったら、指輪として残念だ。
だから僕は、台部分に厚みを持たせつつ、指輪の中は削って接点を少なくした。こうすることで毎日でもつけやすくなる。僕はそういう部分に時間をかけている。普通の職人なら3個作れるところ、僕は1個しか作れない。ただ、それによって朝から晩までつけていられるジュエリーになる。
ジュエリーは使い込むほどに小さい傷がつき、だんだん完成されていくものだ。僕はそれを「経年進化」と呼んでいる。購入時は僕が作ったものだが、10年使っていただくと黒さが増したり傷がついたり、全体的なトーンが下がったりする。そこも計算しながら作っている。
たとえば、指輪の後ろの台、シャンクの部分は、10年もつけていると指側が削れてしまう。そこで昔のインディアンが使っていた一般的に指輪のスターリングシルバーより硬い銀を使用している。「ベゼル」という石を留める枠は、石を守る意味合いもあり、なるべく柔らかくしている。使い込むと石を包み込んで、割れにくく長く使える。
僕の作品でも有名なのが「ヤスベゼル」というものだ。銀の棒を三角形に削り、中にスリットを入れて何かにぶつかったときに潰れてしまわないように空間を作っている。何年も使っていると浮いているようにみえるのも特徴だ。
インディアンジュエリーというもの自体は色あせることはない。今後も残っていくだろうし、文化として継承されていくだろう。
しかし僕は最近、ターコイズという石の力に魅力を感じている。たしかにインディアンジュエリーのデザインは発展してきた。しかし、組み合わせるファッションを選ぶ部分があり、いまどきのファッションでは浮いてしまうところは否めない。
だから、アメリカの民族が身につけるものだったターコイズを、スーツに組み合わせたりメンズジュエリーとして、メンズの手をきれいに飾ってくれようなものになればと思っている。
ジュエリーはきれいな格好をして、きれいに着飾るためのもの。ターコイズも次のステージに持っていきたいと思っている。
僕はこれまで日本のアンティーク・インディアンジュエリーのディーラーとして、ターコイズアーティストとして、北米はもちろん、世界的アーティストと交流しながら、ターコイズの魅力を伝えてきた。
そんな中で、単にジュエリーを販売するだけでなく、お客様がどのように身に付けて、ジュエリーがどのように変わっていくのかも含めて、ターコイズが巡り合わせてくれた「ご縁」と考えるようになった。これまで販売したお客様も、ことあるごとに再度訪問いただいたり、キズがついたり割れてしまったりした時に、アフターフォローもしっかりし続けるのがポリシーだ。
僕の作るジュエリーは、僕の魂を入れ込んだもの。石も完璧なもの、なるべくいいものを使っている。そして、5年、10年経って「よくなりました」と言っていただけるような、壊れないジュエリーを作りたいと思っている。
指輪のサイズが合わなくなっても対応するし、どこかにぶつかって割れた石も一生面倒を見る。割れた部分の修復などのアフターメンテナンスも、僕自身がクラフトマンであるからこそ可能なことだ。そうして、またターコイズを愛していただける状態に戻すことができる。
長年使っていただくことによって、もっともっとターコイズの良さがわかる。販売したらあなたのもの、自由に使ってください、ではなくて、僕が作ったジュエリーをお客様が育てていく工程も見てみたいと思っている。
「スカイストーン」で購入していただくことが、僕とお客様との一生の付き合いが始まる「絆」だと思っている。僕が厳選したターコイズジュエリーを、どうか安心して楽しんでいただきたい。
I've been particular about turquoise, touching every piece of work, and creating it myself
Yasutomo Kodera talks about his half-life that continued to face turquoise jewelry
My fateful encounter with turquoise was a necklace worn by my high school friend.
In 1987, when I was in my second year of high school, a friend who returned from a summer school in California wore a turquoise necklace. The moment I saw the necklace, I was shocked by its color and coolness. I think I was already feeling something like fate at this time. I think I will be involved in some form of `turquoise` in my future life.
I heard, It's a Hishi Necklace made by a tribe called Santo Domingo, an American Indian, and I searched for something similar. However, it was rare in Japan.
After that, study abroad in the United States. The first Indian jewelry I bought was a necklace. I bought it at an airport in Chicago because I wanted to have a bear claw.
I bought a car in less than a year after studying abroad and started to move to various places in earnest.
In such a situation, when I saw the Indian accessories that used to be souvenirs in the gallery, I was shocked. There was no “real” Indian jewelry in Japan in the 1970s when there was no internet yet. I felt a strong feeling in those works, and the style was solid.
Current (2020) turquoise market is only about 3% of the real natural market. Some mines have already closed, and the story of turquoise becoming an investment has spread because of its rarity. Really good stones are not on the market and are often kept by collectors and shops.
Iran stone is said to have the highest quality worldwide. However, new information does not come in, and it hardly appears on the market. It can be taken in Egypt and Kazakhstan, but it is the same. Most of the Iranian stones on the market were imported by 1970.
But I've always been looking for real turquoise. In the days when there was no SNS, I had no choice but to search for information myself. Then, when I met a certain woman, I decided to climb a mine. It was when I was in my thirties.
At first, I went around various mountains on tours and learned that because of this stone quality, such stones can be collected. After many trips, miners started to invite me to go with them if I like them so much.
I actually go to Nevada many times and collect it myself.
They carry sandwiches, sake, pickaxes, etc. in a car. From there, walk to the actual mining site and dig by hand. Search for them while climbing up the wall, with intervals of about 20 meters each. Then, it may hit the pulse of turquoise. It's really mysterious when you find the turquoise of nature, which is created by weathering and oxidizing minerals over hundreds and thousands of years.
However, I leave the big pulse to the miner, and I search for a visible stone. Then, a lump called `nugget` may appear. Nuggets grow under the pressure of rocks, so they often become hard stones. It is said that the harder the turquoise, the higher the quality.
I'm often asked how I see the truth of turquoise, but I know what kind of stone is produced in each mountain in each area. This color is strange even though it is said to be a stone from this mountain, it is impossible to enter the matrix in this mountain, or it is because you are actually climbing the mine and seeing the real thing.
Because of this, things that look unnatural or discolored over the years, or things that are unnaturally too beautiful, are sensible. And I never buy such suspicious stones. Therefore, we do not deliver fake products to customers.
And it's also great that the shops and buyers we work with are only reliable people. Since they deal with them, I can buy with confidence and can sell.
After that, I gathered information at a real American Indian jewelry store, buying the works of famous artists and showing me the turquoise that the owner has treasures. .. Anyway, I wanted to collect Indian jewelry and I wanted to know more. Around that time I also met a number of famous artists. I think I was meeting great artists right now.
After returning to Japan, I continued to learn Indian jewelery and turquoise while working in an accessory shop, and continued my relationship with the locals. From around 1990, I started to make accessories by myself, and I was happy to sell my work.
Then, he became independent as `Skystone` in 1999. Only passion at that time. I had a debt, but I was hoping that if this didn't work, I could do another job.
It opened in March, but I can't forget, the first month I sold only 35,000 yen. I couldn't help but I went out of the showcase during Golden Week that year to appeal to the people visiting Karuizawa, and the items in the case were sold out. At that time, it was a good time with some people spending quite a lot of money. It was really lucky that I could buy new accessories from that sales, sell them, and grow into the current store.
Of course, I made a big mistake. I bought it at a high price but the quality is poor, or the price drops. On the contrary, the cheaply procured items were 10 times or 100 times higher in price, and sometimes they were profitable. That's how I learned the aesthetics.
By the way, the precious antique works that I purchased at the time, which are now valuable, are displayed in the gallery of my Sky Sky Stone store in Karuizawa. I just liked it and collected it, but when I realized it, it seems that he was one of the best collectors in the world.
For the first time in Japan, I was a judge at a fair called `Santa Fe Indian Market`. With this as a trigger, the following year, we will have a booth with a niece of Charles Loroma, a talk show, and an event to identify the turquoise we brought. Since then, she has opened a store every year at this event, and has deepened exchanges with local artists and shops.
Turquoise was first used by the Indians as an ornament. Many turquoises have already been excavated from their tombs around 1300. It seems that they wore them as `guard stones`, but they probably had the image that they were born from nature and were full of power.
Then, immigrants deprived them of their land and forced them into deserts and rocks where no plants could grow. However, Because it is a country of immigrants, it is easy to jump to material things. I think the fact that turquoise has boomed as an investment target and its value has increased has also been good for the Indians. This is because the culture of Indians and Indian jewelery have spread and have been recognized as art.
But the essential attraction is that light blue. I have no honest answer as to why I am so attracted to turquoise. But I'm sure I've come to this day feeling the same light blue color as the Indians.
Turquoise is a good stone and a bad stone. This is a question of quality, which is different from authenticity.
A good stone is that it has light and that the `matrix` mesh lines are evenly distributed. And three of the colors. The most famous mine that produces these stones is the US number eight, Lone Mountain, and the lander blue mountains. And the name of the mountain has become a stone brand.
Number eights are all light blue. If the line is thick, it has many impurities and is easily cracked, and it becomes soft. Therefore, it is said that the one with a thin mesh pattern and the so-called `Spider Web` is valuable.
Lone Mountain's characteristic is that it is often collected in a lump form (nugget form). The stone called `Golden Web`, in which black streaks enter the deep blue stones and yellow-brown lines are mixed here and there, is considered to be the highest grade.
I liked it because hard and sticky stones are hard to break.
Lander blue is a light blue colored black stone coated with a matrix when cut. The contrast between deep blue and jet black is beautiful, and when it comes to the finest stones, the whole looks like purple.
My favorite stone is the number eight. There are perfect colors and patterns. However, due to its high hardness, it sometimes snaps when shocked.
I have experienced it several times and finally arrived at Lone Mountain. It is tenacious and the color does not change. There is also hardness. The stones are intertwined and hard to break.
Number eight as a collection. Is it something like Lone Mountain that you can wear?
However, there are some bad stones produced in these mountains. It's due to the turquoise mechanism.
For example, a stone that is thick or hollow in a vein that becomes a turquoise rough due to crustal deformation and is not compressed. They are neither hard nor colored. And unfortunately, 80% of the turquoises on the market have artificial colours, or resin impregnated to increase hardness, inside the cavities inside such stones.
After studying abroad in Ohio, USA, from a university, I touched real Indian jewelry and learned aesthetics and knowledge while visiting cities such as New York and Washington to Arizona. Now you'll meet up with some of the best Indian jewelry artists.
Among them, Mackey Platero, who is described as Silversmith = silversmith and has delicate and skillful workmanship, was one of the first writers I imported from America. Encounter with him in my life. It had a big impact.
I met McKee many times, and I was really impressed to see how it was done.
, He gave me a motif, and I was very in touch with him.The name `Sky Hawk` (heavenly hawk) is also an Indian name he gave. It can be said that he is my teacher.
Charles Loroma, who is said to have sublimated Indian jewelery into the realm of art, was a big catalyst for me as a jewelery designer, and Charles Loroma died in 1992. Unfortunately, I couldn't meet him three years after I moved to America, but I could learn more about Loroma through the works left behind and by interacting with the people around him.
Lee Yaji, known for his elaborate and intricate design, is one of the most memorable artists I've met. The idea of bringing each line to life is my own production. Also had a great influence. One of the geniuses of the modern Indian jewelry world.
In recognition of his achievements, he was the only American Indian to hold a show at the Smithsonian Institution, which is said to have boosted the value of Indian jewelery, even at Sotheby's auctions. The work is being treated.
As I met Indian artists in the United States, gained interaction and earned the trust of them, I started to think that I would like to make them myself. As I received it, I remembered it little by little.
Jewelry is meant to make people happy, so I can't get rid of it. In fact, even though I'm sorry, I'm gradually improving it and selling it.
For the jewelry I make, I use only the stones I admit to be the best at that time, and I put my soul in. The basic concept is `jewelry that can be worn 24 hours a day, 365 days a year`. The origin of Kodera's original jewelry is that you can design the stones you want to wear yourself with your favorite design.
While I've seen various works, I make each good essence with my own originality. Even if it is a very nice stone and good design, it bends when hit with a bon If it does, it's a shame as a ring.
So I made the base part thicker, and cut the inside of the ring to reduce contact points. This makes it easier to put it on every day. I spend time on those parts. Where an average craftsman can make three, I can make only one, but it makes jewelry that can be worn from morning till night.
Jewelry wears little scratches and is gradually completed. I call it `aging.` It was made by me at the time of purchase, but after 10 years of use, it will increase in blackness, scratches, and the overall tone will decrease. I am making it while calculating it.
For example, the base behind the ring and the shank part will be scraped on the finger side after 10 years of wear, so silver that is harder than the sterling silver of the rings commonly used by old Indians was used. The frame that holds the stone, called the `bezel`, is meant to protect the stone and is made as soft as possible. When used for a long time, it wraps stones and is hard to crack and can be used for a long time.
My work is known as `Yas Bezel`. I cut a silver rod into a triangle and put a slit in it to make a space so that it will not be crushed when it hits something. Another feature is that it seems to float when used for many years.
Indian jewelery itself will never fade. It will remain and be inherited as a culture.
But recently, I'm attracted to the power of the stone called turquoise. Certainly, Indian jewelry designs have evolved. However, there is a part to choose fashions to combine, and it will float in modern fashions. But I cannot deny it.
Therefore, I would like to combine turquoise, which was used by the American people, with suits and as men's jewelry to decorate the men's hands nicely.
Jewelry is meant to be nicely dressed and nicely dressed. I want to bring turquoise to the next stage.
I have been a dealer of Japanese antique Indian jewelry, a turquoise artist, interacting with not only North American but also global artists, and I have been able to convey the charm of turquoise.
In such a situation, turquoise met not only selling jewelry but also how customers wear it and how jewelry changes. I started to think of `relationship`. Our policy is to keep our after-sales follow-up, even if the customers we have sold so far visit us again every time, or if they become scratched or cracked.
My jewelry is made with my soul in mind, the stones are perfect, I use the best I can. And after 5-10 years, I'm getting better. I would like to make jewelry that will not be broken.
If the size of the ring doesn't fit, I'll deal with it, and I'll take care of the broken stones for a lifetime. I'm the craftsman for after-maintenance such as repairing the broken parts. That's exactly what you can do, and then you can restore turquoise to your loved one again.
By using it for many years, you can see the goodness of turquoise. If you sell it, it's yours, you can use it freely. I would love to see it.
I think that purchasing at `Skystone` is the `bond` that begins the lifelong relationship between me and our customers. Please enjoy the turquoise jewelry that I carefully selected with peace of mind.
スカイストーン・トレーディング代表。1989年オハイオ州マウントユニオン大学入学。留学中にNY・ワシントンDC、アリゾナ州スコッツデールなどで数々のインディアンジュエリーに触れ、見る目と知識を身につけた。’98年、軽井沢にスカイストーン・トレーディングをオープン。アンティーク・インディアンジュエリーの仕入れと販売、ディーラー業、オリジナルジュエリーの製作を軸に活動している。ATADA(アンティーク・トライバル・アート・ディーラーズ協会)に加盟。
Representative of Skystone Trading. 1989 Entered Mount Union University, Ohio. While studying abroad, I learned a lot of Indian jewelry in New York, Washington DC, Scottsdale, Arizona, etc., and learned the sight and knowledge. Opened Skystone Trading in Karuizawa in '98. We are active in the purchase and sale of antique Indian jewelry, dealership, and the production of original jewelry. Joined ATADA (Antique Tribal Art Dealers Association).